日本、再探紀

日本の魅力を再び、探していくブログです。

2013.07.19 長崎県長崎市

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軍艦島





長崎県南西部に位置しますこちらの島は、正式には端島といいます。
本土からでも肉眼ではっきりと確認することができますこの島は、通称、軍艦島のほうがご存知の方も多いでしょう。



最近、一部地区のみ上陸が許可され、観光地としても人気になり始めております。



なぜ、軍艦島と呼ばれているかといいますと、島の外観が、本当に軍艦のようなんですね。
当時の戦艦、土佐にその姿が似ていたところに由来するようです。


今回は、上陸ツアーではなく、長崎本土からの景観と、軍艦島資料館への訪問をいたしました。




軍艦島の概要としては、海底に豊富な石炭が発掘できることが知られた 1900年頃、三菱社の端島炭鉱買収により本格的に採掘が開始され、その規模に従い、徐々に人口が増えていきました。

人口の増加と共に、日本で始めての鉄筋集合住宅も建造、最盛期の 1960年には人口は5,000人超、人口密度は83,600人/km²ぶっちぎりの世界一でした。(現在の東京が約14,000人/km²)

そうなると、もはやそこはただの小さな島ではなく、病院や神社、映画館に小学校まで作られるようになります。


その狭く限られた場所に、所狭しと並べられた人工物の姿が、軍艦島と呼ばれる由縁なのでした。




その後は、1970年、政府によるエネルギー革命により需要エネルギーが石炭から石油へと変わったため、日本の炭鉱で唯一黒字だったのにも関わらず、閉山。
離島命令により、その年より無人島と果てております。



ざっくりではこんなところです。
もっと知りたいという方は、是非、軍艦島もしくは軍艦島資料館にお足を運んでください。
資料館では、当時の人々の生活にスポットを当てているようで、市場や映画などの娯楽施設で賑わう人々の写真や、子どもたちが海に飛び込み、楽しそうに遊ぶ姿の映像などが展示されています。

一見、劣悪な環境に思える軍艦島は、とても住みやすかったと当時の労働者の方がおっしゃっていたのは意外でした。




資料館をあとに、ぼーっと海岸線を歩いていますと、隠れ家のような浜辺を見つけました。
どうやら地元の方御用達のようです。



そこで、軍艦島の映像と同じような年齢の子どもたちが、同じように海で遊んでおりました。





本当に楽しそうに、遊んでおりました。



カトリックセンター長崎にて宿泊



再探五十五日目
再探できた都道府県 24 [残り 23]
移動距離 100km [計 5,770km]
出費 ¥7,500 [計 ¥331,000]
(内訳)
・食事代…¥1,400 [計 ¥82,700]
・入浴・宿泊・キャンプ場代…¥2,000 [計 ¥83,900]
・ガソリン代…¥0 [計 ¥35,400]
・衣服・洗濯代…¥0 [計 ¥6,300]
・日用品・雑貨代…¥4,100 [計 ¥39,100]
・バイク修理・用品代…¥0 [計 ¥41,500]
・レジャー施設使用料…¥0 [計 ¥2,700]
・画材代…¥0 [計 ¥3,900]
・その他…¥0 [計 ¥2,600]
※ 十円以下四捨五入