日本、再探紀

日本の魅力を再び、探していくブログです。

2013.07.24 広島県呉市〜愛媛県今治市

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いやー、フェリー尽いているなあー



本日は片道 ¥300、往復 ¥600で行けます、キュートアイランドのご紹介です。


広島県は竹原市忠海にございます、こちらの離島。

名を大久野島と申します。


忠海港から約4km離れたこの島はフェリーで約12分で上陸できるのですが、一体何故、僕はキュートアイランドと銘打ったのでしょう。


実はこの島、別の名を うさぎの島と呼ぶんです。


噛み砕いていいますと、まあようは うさぎが島中にいるんですね。




大久野島の桟橋に到着しますと、人間よりも先に、当たり前みたいに港で待ってました。しかも大量に。

ちょっとした韓流スターの気分を味わえますよ。



大久野島は全周 約4kmの小さな島。

諸説あるそうなのですが、40年ほど前、無人島だったこの島に学校で飼育していたうさぎを放したところ、自然に繁殖し、うさぎの島と呼ばれるようになるまで増えていったそうなのです。

今ではキャンプ場やテニスコートなどのレクレーション広場、宿泊施設やビジターなども設置され、年間10万人が訪れる、人気観光スポットとなっております。


人を見かけると、とことこと寄ってきては食べ物をせがむ、愛くるしいうさぎをみていると、永遠に平和が続くような、そんな穏和な心地よさがありました。





ただひとつ、この島には特異な歴史があります。





戦時中、かつてこの島は、戦時中の日本軍科学兵器の 80%を生み出す、極秘毒ガス製造所でした。


主に作られていたのはイペリット・ルイサイトなどの致死性薬品。

治験体に薬品を垂らすと、垂れた雫の筋が青く、ただれたと記されています。



日本は戦時中すでに、科学兵器の禁止に関する条約、第一、第二ハーグ条約、ベルサイユ条約、ワシントンでの軍縮会議の四度に渡って批准していましたが、その水面下ではすでに科学兵器の生産所を建造していました。


そのため、この大久野島は、極秘に科学兵器を製造するため、地図には記載されておらず、終戦までこの島は、ないこととなっていました。



戦後、アメリカ軍が科学兵器を破棄するまでに製造された量は約6,000t。

人類を滅亡させることのできる量だったと言われています。






そんな歴史を持つ島でした。






うさぎに釣られて行ったら、えらい目にあいました。
原爆資料館に続いて、歩んできた歴史を思慮させられます。




だけど、僕が一番、なんともいえない気持ちにさせられたのは、科学兵器の治験体として使われていたもの。

それは、この大久野島のシンボルでもある、うさぎでした。




歴史を知ると、少し、この平和な空間が、繊細なものだと思えます。




うさぎが、ぴょんと跳ねました。





今日は上浦PAにて野宿〜


再探六十日目
再探できた都道府県 26 [残り 21]
移動距離 120km [計 6,670km]
出費 ¥2,100 [計 ¥353,200]
(内訳)
・食事代…¥1,500 [計 ¥88,000]
・入浴・宿泊・キャンプ場代…¥0 [計 ¥86,500]
・ガソリン代…¥0 [計 ¥40,100]
・衣服・洗濯代…¥0 [計 ¥7,300]
・日用品・雑貨代…¥0 [計 ¥41,200]
・バイク修理・用品代…¥0 [計 ¥41,500]
・レジャー施設使用料…¥600 [計 ¥4,900]
・画材代…¥0 [計 ¥3,900]
・その他…¥0 [計 ¥4,800]
※ 十円以下四捨五入