日本、再探紀

日本の魅力を再び、探していくブログです。

日本、再探紀。

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さて。

2013年の4月よりはじめたバイクで日本一周。
思えばその発端は、さらにずいぶんと昔の仕事の面接のとき、何気なく答えた将来やりたいことという質問でした。



当時はバイクに興味はまったくなく、免許を取ることすら考えてもいなかったとは思うのですが、なにかこうふっと沸いて出たように「バイクで日本とか周りたいですねえ」と答えていました。
何を隠そう心にもないことですから、(なんせ興味ない)たぶんいつもの口からでまかせの、なんかちょっとワイルドに見られたかったのかなと推察します。あほですが、それが吉と出たか凶と出たかはともかく無事にその仕事の面接は通過してました。

言霊という言葉があるように、口にして物事を発すると不思議と自然にそのことを意識するようになります。
かつてでまかせで言ったことが、いつのまにか自分の中で少しずつ支配していきますと、日常生活の中でもその方向へ傾いていきます。
何気なくネットで「バイク 維持費」と調べたり、待ち合わせのコンビニでマンガ雑誌ではなくバイク雑誌を立ち読みをしたり、あるいは著名な旅人の著書を読んでみたり。
そうなるとあれよあれよという間に、気づけば、免許交付日の午後から納車のバイクを環七で走り抜けておりました。
そして冒頭の2013年、あのときの言葉を実現するに至ります。

よく「なんで日本を一周するの?」なんて質問がありますと、さすがに冒頭の件を話すといまいちドラマ性に欠けるので、このブログタイトルにありますように「日本をもう一度探検してます」とかって言うとそこそこの反応になるのでそう答えます。
実際のところ、旅の当初はただぶらぶら浮浪者のように放浪するのは…と思い、自分の知らない日本を学ぶために旅をしよう、などとどこか大義名分的な正当性をかざしていました。海外留学の足掛けだとか、自分探しだとか、地理の教養を付けるためだとか、いろんな旅の理由がエビ天ぷらの衣みたいにつきまとってきて自分を囲って正当化させていました。
しかし、こうやって旅が終わって振り返ってまとめてみますと、間違いなくただかっこいいから、だけでしょう。
それ以外理由がないですね。
バイクで日本一周ってかっこよくない?
もうほんとこれだけです。
俺にとってのエビ。
なんか書いてて恥ずかしいですけど。

一応、僕がブログ内「旅中、奮闘紀」で走ったルートをつなげてみますとこんな感じです。
これだけでもうお酒飲めますよこれ。頑張ったなあってな具合で。
あくまで副産物ですが、どこの出身の人でも一通りの地元話はできるようになりました。

この後、残す最後の桃源郷沖縄へ、資金難から労働を兼ねて出発をするのですが、西表島という島を選んだのも、そこでの仕事がかっこよかったから選んだような気がします。
この島は本当に楽しい島で、結果一年弱も住んでしまいましたが、それでもまだまだ魅力の一角を見たに過ぎないぐらい、懐の深い島です。
日本一周の記事、それもバイクとはまったくの疎遠になる内容だと承知した上で、このブログに西表島の記事を掲載しました。ひとえに、微力ながら西表島を周知したいなと思う一心です。

最後に。
西表島から戻りそのあとの仕事も落ち着いた昨日、友人と久しぶりに行った淡路島ツーリングで、日本一周の旅を、ときに支えときに足をひっぱりまくった一眼レフカメラK-30を走行中に落下させてしまい、ついにその生涯を終えることとなってしまいました。
また同時に身辺の変化からバイクを維持できなくなってしまい、そのツーリングを最後に、SRV250を手放すことになります。
日本をバイクで周るためだけに選んだSRV250とK-30。
しっかり旅を終えるまで見届けてくれました。
一人旅となりますと自分の周りに伴う全てものは自分の仲間であり、旅の相棒となります。
別れは惜しいですが、自分の中にある思い出はいつまでも心に残るでしょう。
くっせえ締めですね。うん、でもまあそうなのだから仕方がない。

そしてここ数ヶ月、2015年夏頃から、出発地である関東に戻り居を構えることができております。
数年ぶりの大都会東京はやはり大都会東京で、暗くならない夜に怯えるのは初めて上京した18歳の頃以来でしょう。
あの頃から幾分年月は経ち、さらに日本一周という旅を通して、自分はどうか成長したのだろうか?という、どこかなにかに期待した自問自答は、その想いとは裏腹に秋空むなしく空を切りまして、そのようなことはおよそほとんど感じることはないまま、ただ今もその上京した時と同じように、なにかもっと面白いことはないかなあと思い続けているのみでございます。