日本、再探紀

日本の魅力を再び、探していくブログです。

2013.09.11 北海道紋別郡〜北海道網走市

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網走監獄。



1908年、監獄法制定により北海道の極地、人口数百人足らずの漁村であった網走へ突如現れたその建物に、全国から約1,600名の囚人が集められました。

後に日本で最も脱獄が困難だといわれる監獄所、網走監獄の誕生は、後に網走という土地へ多大な変化をもたらすこととなるのです。






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てことで、行ってきました網走監獄。

その想像を絶する自然環境から、日本で一番有名な刑務所ともいわれております。

ただし、現在ももちろん網走刑務所としてバリバリ現役ですので、少し離れた山の麓にあります、博物館 網走監獄がございますので、そちらへと赴きました。


¥1,050という、なかなかなミドルキックをかます料金になかなかの危いとこでしたが後にわかります、館内、めちゃくちゃ広くてすごいです。

本当にしっかり見たならば、3時間は簡単に過ごせると思います。


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しかもそのものの作りが非常に精工!
人形がおそらく100体以上いると思います。それぞれが、明治の網走監獄をイメージして当時の監獄内の様子を再現していまして見応え十分!


中でも、北海道という土地を活かして自給自足を主とした網走監獄の生活は、まさに手前味噌!
囚人達が作り出した農作物、畜産物は一般の農家以上の収穫効率をたたき出したとの事で、その他にも味噌や漬物など、監獄内で賄いきれない分は町へ極安価で売りにゆき主婦にも好評だったそうです。

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現在、囚人が農業を行う他、社会への貢献と生産を行うスタンスが重視し注目されておりますが、その先駆けともいえる、先進的な監獄だったといえるでしょう。





しかし、今でも慰霊碑が祀られている程に過酷な重労、中央道路建設ではその当時の人権の薄さをまざまざと見せつけられるようでした。





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ロシアからの襲撃を重く見た当時の明治政府は、その対抗措置として北海道の網走〜旭川を横断する道路の建設を命じました。

極寒の冬の北海道での作業も含む上、突貫工事ともいうべき納期、実に通常の四倍の作業を求められた現場員に白羽の矢がたったのが、網走監獄に収監されている囚人達でした。

農作物の他、建設業をこなすこともあった囚人達は、北国、網走に収監されていることも手伝って選択されたのでしょうが、真たる理由は「過酷な現場ではあるがもともと囚人たる身。作業中に屍になろうとも構わん」と非情な理由でした。


工事の着工から、夜通し行われる作業。まともな食事はほとんどなく、また脱獄防止のために取り付けられた足枷の鉄球、二人一組で腰に継がれた鎖などは、囚人達の重労に拍車を掛けました。

一人、また一人と囚人たちは野垂れ死んでいきます。

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上は、その後、遺体を弔うために土を掘り起こし、発見された場所の一覧なのですが、よく見ると工事着工地の網走から途中までは墓地を立てておりますが、そのあとはその痕跡もなくなってゆきます。





もう、死者を埋めることすら出来なかったのでしょうか。




工事の無惨さが感じ取れます。


無事、工事は納期に間に合いましたが、約300人の殉職者が出てしまいました。

後に別名囚人道路とも呼ばれる道路は、今もその地盤を踏襲し、利用され続けることとなります。





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なんとも、時代が時代とはいえ感傷に浸る思いですね。


北海道は、比較的近年に開拓した地でもあり、道もとても整理され、碁盤目の均等な地区配分など合理的な配置の印象を受けます。

何気なく通る一見ありふれたような道路は、多大な犠牲の元で成り立っているもののようですね。






第二次世界大戦が終わった後、しばらくして高度経済成長期が来たるとき、ある一本の日本映画が公開されます。

「網走番外地」とついたタイトルの映画の主演は高倉健
シリーズ16作まで続けられる超ヒット映画、それは網走を舞台にした映画でした。

この時期から、網走監獄を、網走という町を、一躍全国区とし、新たに観光地という側面を持たせることとなりました。


かつては数百名だった、漁村、網走。
今では30,000名を越す人々が、網走市として生活を営んでおります。




ある市民が言いました。




「網走監獄がなければ、網走は網走ではなかった。」




と。

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宿泊 呼人浦キャンプ場



再探八十四日目
再探できた都道府県 33 [残り 14]
移動距離 120km [計 9,460km]
出費 ¥5,800 [計 ¥477,800]
(内訳)
・食事代…¥1,300 [計 ¥126,500]
・入浴・宿泊・キャンプ場代…¥0 [計 ¥100,600]
・ガソリン代…¥1,300 [計 ¥58,700]
・衣服・洗濯代…¥0 [計 ¥9.000]
・日用品・雑貨代…¥1,000 [計 ¥46,500]
・バイク修理・用品代…¥0 [計 ¥46,100]
・レジャー施設使用料…¥1,700 [計 ¥10,500]
・画材代…¥0 [計 ¥5,900]
・フェリー移動費…¥0 [計 ¥18,700]
・その他…¥500 [計 ¥14,600]
※ 十円以下四捨五入